忘れはしない
スッと、頬を風がなぜる。

もし優希に実体があるのなら、小気味のいい音が鳴っただろう。

優希は、腕を振り切った格好で止まっていた。

「早紀にも言われたでしょ?あんたは悪くないって」

殴ろうとしたのだと、数秒たって気づく。

「あんたの目に、あの日の私はどう見えていたの?無理矢理連れて行かれ、嫌々家をでたように見えたの?」

そうじゃない。本当に楽しそうにいろいろ用意をしていた。

前日の夜から、弁当の下準備をしていた。向こうでいい景色を見ながら食べるんだと張り切っていた。

温泉の近くにある滝を見に行こうといい、遅くまでパソコンと向かい合っていた。

朝、弁当を作りすぎたからと余ったモノを朝食にした。

美味しかったが、量が多すぎて食べきれず、もう一つ弁当を作っていた。

残さず食べてね、と言いながら。

その一つ一つの記憶の全てで、優希は笑っていた。

嫌な顔なんて思いつかないくらいに。

「私は、本当に嬉しかったの。久しぶりの二人での遠出だったし、大好きな温泉旅行だったし、楽しみで楽しみで仕方がなかったのよ?」

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