そのオトコ、要注意。


あたし達の間にはなんとも言い難い微妙な空気が。

いつまでも動かないあたしに戸惑いの色が浮かんでいるのが、わかったのか。


「ほら。…おいで」

整った顔に浮かぶ、微笑み。

「………っ、」


前はどこか作り物めいた笑顔だった。
あたしが見てきたこの人はいつだってそんな顔を貼付けていた気がする。

裏でニヤッと企むように笑うのでもなく、表面だけの空虚じみた笑顔でもなく。

そんなものとは比べものにすらならない。


(…どうしちゃったの、ほんとに)


本気であたしから来るのを待っているらしい。

長い腕を広げたまま、こちらを真っ直ぐ見据える青い双眸。

その瞳は確かな決意で満ちているようだった。


…そうだ。
ごちゃごちゃと考えずとも、あの胸にただ飛び込めばいい。


(…でも)

何かがあたしを引き止める。
それが何なのかはわからない。


「…あ、あたし……っ、」


――逃げ出したい。


そう思ったのと同時。

くるっと向き直り、いたたまれない空気のこの場からあたしは、―――…!


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