童貞狂時代
また、楽しそうなグループが怖くもあった。一人青白い顔をして大学生活を少しもエンジョイしてない僕を見つけて、あいつ変だとか、キモいとか、言われないかといつもびくびくしていた。
校内にはいると心臓の不協和音が止まらなかった。時に隠れるように男子トイレの個室に籠った。なかでメモにいま苦しんでることを記したり、人生論みたいな本を読んだりし心を落ち着かせていた。必死だった。手に汗をびっしょりかいてページに悲しみの滴が滲んだ。
僕は、それから対人恐怖症が悪化、当然のように留年した。休学などのあがきを試みたが・・・大学を自主退学した。童貞のまままっしぐらに闇、漆黒の川に飛び込んでいった。
20歳で実家に半ひきこもり生活して苦悶の日々を送っていたころ僕は一生女性と付き合うことはできないと絶望していた。アルバイトをしてもろくに続かなかったひきこもりの人たちの自助グループは、リブレタというフリースクール主催のものが、都心にあった。ネットで検索して見つけた。東京の引きこもりの僕はそこへ通ってみることにした。月2回、木曜日と土曜日に会は行われる。回数の物足りなさを感じながらも、とりあえず手始めに木曜日の自助会に参加することにした。しかし僕を待っていたのは新しい絶望だった。女性はおろかそこに通っている男性陣ともうまく会話できなくて居場所がこの世の中にどこにもない気がした。
21歳になっていた。実家に半ひきこもりをする生活になった・・。僕は一生女性と付き合うことはできないと絶望していた。アルバイトをしてもろくに続かず…。東京23区内にあるひきこもりの人たちの自助グループ、リブレタというところに行ってみたが、月2回、木曜日と土曜日にしか行われない回数の物足りなさを感じながらも、とりあえず手始めに木曜日の自助会に参加することにした。しかし僕を待っていたのは新しい絶望だった。女性はおろかそこに通っている男性陣ともうまく会話できなくて居場所がこの世の中にどこにもない気がした。とにかく通えど通えど馴染めなかった。
校内にはいると心臓の不協和音が止まらなかった。時に隠れるように男子トイレの個室に籠った。なかでメモにいま苦しんでることを記したり、人生論みたいな本を読んだりし心を落ち着かせていた。必死だった。手に汗をびっしょりかいてページに悲しみの滴が滲んだ。
僕は、それから対人恐怖症が悪化、当然のように留年した。休学などのあがきを試みたが・・・大学を自主退学した。童貞のまままっしぐらに闇、漆黒の川に飛び込んでいった。
20歳で実家に半ひきこもり生活して苦悶の日々を送っていたころ僕は一生女性と付き合うことはできないと絶望していた。アルバイトをしてもろくに続かなかったひきこもりの人たちの自助グループは、リブレタというフリースクール主催のものが、都心にあった。ネットで検索して見つけた。東京の引きこもりの僕はそこへ通ってみることにした。月2回、木曜日と土曜日に会は行われる。回数の物足りなさを感じながらも、とりあえず手始めに木曜日の自助会に参加することにした。しかし僕を待っていたのは新しい絶望だった。女性はおろかそこに通っている男性陣ともうまく会話できなくて居場所がこの世の中にどこにもない気がした。
21歳になっていた。実家に半ひきこもりをする生活になった・・。僕は一生女性と付き合うことはできないと絶望していた。アルバイトをしてもろくに続かず…。東京23区内にあるひきこもりの人たちの自助グループ、リブレタというところに行ってみたが、月2回、木曜日と土曜日にしか行われない回数の物足りなさを感じながらも、とりあえず手始めに木曜日の自助会に参加することにした。しかし僕を待っていたのは新しい絶望だった。女性はおろかそこに通っている男性陣ともうまく会話できなくて居場所がこの世の中にどこにもない気がした。とにかく通えど通えど馴染めなかった。