春。[短編10P][ホラー]
 そんなことあっただろうか。よく思い出せない。



「ママが言ってる通りだったわ…しばらく無言の後に、女の人が……小さな咳払いをして切る電話……」


 珪夏は言葉を詰まらせながらも私の目を見て言う。


「そうだったかしら……」

 私が呟くと、珪夏は首を振った。



「ごめんなさい、ママ。忘れているのね。あんなの忘れてる方がいいわ。毎日毎日、決まった時間にかかってくるあんな電話のこと。いつも辛そうに電話を置くママを見ていると、珪夏も悲しいもの」


 珪夏は薄っすらと涙さえ浮かべている。私は指でその涙を拭ってあげた。

 この子に辛い思いさせている……。また私は忘れてしまっているようだけれど…珪夏の涙を見ていると、分かってあげれない罪悪感が募った。

 

 珪夏の瞳を見ながら私の頭の中がグルグルと渦を巻いていく。珪夏の言葉が頭に何度も何度も響いた。


 いつもの……決まった時間の……電話……。……そうだ、いつもの電話。あの存在を知らせようとする咳払い。声は出さないけれど、女性だとわかるように。


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