側にいる誰かへ
「金を出せ。」

男は大声で叫ぶ。

店の中に、店員はレジの女性だけ。客は俺一人。

男は女性にナイフを突き付ける。

俺は急いで扉を開けようとする。

「止め…。」

瞬間、視界が歪む。

俺の体力は思ったよりはるかに落ちていた。

「大声を出そうとしただけでこれか…。」

俺は地面に膝をつく。

はぁはぁ。

こんな時こそ冷静に、冷静に考えるんだ。

男はおそらくトイレの俺に気づいていない。

俺を威嚇してこないのが、その証拠。

男は顔にフルフェイスのヘルメット、手には軍手、足にはヒールを履いていた。

あの格好はおそらく、自分の痕跡を残さないようにするもの。

顔を覚えさせず、指紋を残さずに、身長すらごまかして。

性格は完璧主義者。

それなら、自分が犯行をする上で一番怖いのは、誰かから取り押さえられる事。

腕力の強い男性が店内にいれば一番に威嚇するだろう。

完璧主義者の彼は、店の中に女性が一人になる時を狙った。

客が入らなくなる時間帯もあらかじめ、調べ犯行に臨んだのだ。

彼はおそらく、外から店員が一人になるチャンスを伺っていた。

しかし、そんなチャンスは一瞬だ。

彼は、今をチャンスと思い急いで店に飛び込んだ。

トイレの中の俺を確認する事なく。

焦りは彼のミスに繋がった。

俺の頭は体が動かない分、思った以上に冴えていた。

携帯は家だ。

ここからは警察に連絡できない。

なら、俺がやるしかない。
相手が俺に気づいていないなら、その利点を利用する。

相手に気づかれず、ぎりぎりまで近づき、そこで奴を倒す。

だが、今の俺に奴を押さえる力はない。

方法は一つ。

あいつを気絶させる事。

奴の顔にはヘルメットがある。

なら、狙いは腹。

俺はゆっくりドアを開け、商品棚に隠れながら、地べたを履い、男に近づく。

アデレナリンが出ているのかもう目眩は感じない。

俺は棚が切れるぎりぎりの所で停止する。

ここは相手からの死角。

棚の向こうには相手の背が見える。
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