異常人 T橋和則物語
 すると、電話が鳴った。
「はい。東京郊外精神病院……竹田です」医師はゆっくりいった。
「俺は、セロンだ」
 竹田医師はにこりとした。「和則君をうばっていったひとですね?」するどかった。
 セロン・カミュが知りたいのは和則の主治医の名前だった。彼はそれを礼儀正しく尋ねた。
「それはわたし、竹田聡です」冷静な声だった。
 だったら、この和則をおれにかわって”救って”やれ!腹立ちまぎれにその言葉がセロンの喉まで出かかったが、ぐっと呑みこんだ。ていねいに、うやうやしく。とにかく今はその線でいかねば。
「和則はおれが見ています。”救って”やるんです」セロンは丁寧にいった。
「ほ~う。救う?どのようにして和則君を?」
 竹田医師は微笑んだ。和則が途方に暮れて、ズボンに手をかけようとしていたが、セロンは気付かなかった。かわりに、ミッシェルが「ダメ!和則!…そこは部屋で、トイレじゃないのよ!」とわめいた。
「セロンさん、和則君とはもう二十数年のつきあいになります。ずっと彼を見てきました」 竹田はおだやかにいった。
「……二十数年、そんなにながく?」セロンはびっくりしてしまった。あのクレイジー和則は二十数年も病院に閉じ込められていたのだ。あの謎の男、緑川なんとかがいった「和則は生まれたときから知恵遅れで…」というのは本当だったのだ。だから糞ったれなんだ。「和則は、七歳の知能しかない?」
 竹田はうなずいた。「和則君のようなひとを医療知識のないものが扱いこなせませんよ。わたしはもう二十年、彼をみてきました。彼は、ひとりではなにも出来ません」
 ひとりじゃない、俺たちがいる……セロンは思った。口では次のように言った。「それは違います。和則は優秀です」彼の言葉は嘘だった。どこが優秀か?
「ほう、優秀?和則君が、どんな風に?」
 竹田は笑った。セロンは携帯電話を握りながら、動揺した。手に汗が滲んだ。
 
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