【長編】唇に噛みついて
「先生……」
廊下でいつまでも立ち止まっていると、後ろから遠慮がちにかけられた声にオレはゆっくりと振り返った。
すると後ろには、俯きがちの鼎が立っていた。
あ……。
「どうした?鼎」
ハッと我に返ったオレは、少し鼎の存在に驚きながらも平然を装った。
とは言いつつも、内心かなり焦った。
何でかは……。
いつまでも俯いて唇を噛み締めている鼎を見下ろして、重い沈黙をどう破るか考えていると、鼎はオレのYシャツの袖をキュッと掴んだ。
「どうしよう……先生。あたし……」
みるみるうちに鼎の大きな瞳からぼろぼろと零れてくる涙にオレは言葉を失った。
「あたしのせいで、零と聖菜さんが……」
そう言ってオレにしがみつく鼎を、オレはただただ見下ろす事しかできなかった。
オレには、鼎を慰める資格ない。
オレには、オレの腕にしがみついて泣いている鼎を抱きしめる資格ない。
オレには、鼎にかけてあげられる言葉なんて何ひとつないんだ。
だってオレは……こいつの気持ちに答えてあげる事できないから。