さらわれ花嫁~愛と恋と陰謀に巻き込まれました~
漆黒の闇に、一つの影。
周囲の景色にとけこむように、しかしよりいっそう深いその影は、暗闇の中とは思えないほど俊敏な動きで、
常人ならたどり着くことさえ難しいその部屋へ、やすやすと降り立った。
スースー。
部屋の中には、天蓋つきの豪華なベッドがあり、その中で小さな呼吸音が規則正しくこだまする。
影は神経を研ぎ澄まし、周囲に人がいないことを確認すると、慎重にベッドのそばへと身を寄せた。
暗闇で不気味に光るその視線の先には、生後半年ほどと思える部屋の主がいる。
ぬっと、影から長い腕が伸びたかと思うと、柔らかい赤子の背に回された。
「あ~」
闇を引き裂くように発した赤子の声に、一瞬影の動きが止まる。
影は、扉に目をやる。
開く気配はない。
(落ち着け。侍女には薬を持っている。朝までは誰も来ないはずだ)
影は赤子に腕をまわしたまま、じっとその赤毛を見つめた。
しかし、ためらったかに見えたその両手は、次の瞬間には、赤子を軽々と持ち上げた。
「悪いな。お前に罪はないが、恨むなら、非道な親を恨めよ」
低く呟くと、男は、すやすやと眠る赤子を手早く布でくるみ、慎重に窓際へと身を寄せた。
窺うように辺りを見渡して、すばやく窓から綱をおろした。
しんしんと雪の降る、寒い夜のことだった--。