花は踊る 影は笑う~加賀見少年の非凡なる日常~

 不意に、前方に広がる暗闇の中から……声がした。
「え……?」
 千歳は顔を上げて前を見た。濃い夜の闇。でも、そこに誰かが立っているのはぼんやりとわかる。見えるというよりは、気配があるのがわかると言ったほうが正しいか……けれどじっと目をこらせば確かに、数メートル前に闇よりも濃い影のようなものがあるように見えなくもない。
「誰?」
 声をかけると、その影の塊が揺らいだように見えた。
 やっぱり、誰かいる。
「嫌……?」
 千歳の質問には答えず、先ほどの言葉をそのまま繰り返す声。
 綾人や小梅ではない。二人は千歳の後ろにいるのだから当然だ。けれど……二度目にその声を聞いた千歳は、ふと、首を傾げた。
 聞き覚えのある、声。
「沢山……嫌なの?」
 繰り返される台詞と共に、こちらに足を踏み出すのがわかった。じゃり、と校庭の砂を踏む音。やっぱりその声には聞き覚えがある。けれどそれが誰だか思い出せない……どうしてだろう。よく耳にしているはずの声なのに。
 そう思うほどに聞きなじんだ、声。

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