花は踊る 影は笑う~加賀見少年の非凡なる日常~

 片手はしっかり相手の手首を掴んだまま、もう片方の手を相手の襟首にかけて強引に持ち上げた。その体は思いのほか軽く、容易に持ち上がる。
 その顔が街灯の光に晒される――
「………………え…………」
 その顔を見た千歳の顔が引き攣った。
 乱れた黒髪の下の瞳は、無表情に千歳の顔を見上げている。
「な……ん……」
 自分を見上げる顔を見て、千歳は言葉にならない呻き声をあげた。
 声に聞き覚えが……あるはずだ。だって、この顔には見覚えがある。良く知った声、良く知った顔。その顔が歪む。その声が零れる。
「嫌……なんだろ? だったら消えてよ。そしたら僕が……」
 千歳は動けなかった。掴んでいた手首がするりと千歳の手から逃れても、動けずに、ただただ硬直して相手の顔を凝視していた。
 それぐらいに衝撃的な――
「――僕がかわってあげるよ?」
 千歳から逃れた手が千歳に向かう。硬直したままの千歳の喉元に、ひやりとした相手の両の手が触れた。
「千歳っち!!」
 綾人の声が聞こえる。どうやらようやく千歳の姿を見つけたらしい。
 けれど、相手はおかまいなしに、千歳の首にかけた両の手に力を込めた。
「……うっ……」
 信じられない。信じられない。
 そんな言葉が千歳の頭の中をぐるぐる回っている。状況が良くないものであるのは重々わかっていたが、それでも身動きする気力を根こそぎ奪われてしまったかのように、体に力が入らない。
 それぐらいに、混乱していた。

< 59 / 177 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop