[短編]彩華
「俺はな、神じゃあない。10年も20年も後の自分の心がどうなっているのかなんて、分かりやしない。」

紅珠郎は、眩しそうに目を細めた。

「だがな、桜は好きだ。」

さぁ、と春の桃色の風が頬を撫でて行く。紅珠郎は、紅い視線を私から外し、庭の桜に向けた。
ふと、掌が温かくなる、其処には確かに紅珠郎の大きな掌が重ねられていた。

「誰に踏まれようと構い無しで、小さく花を付ける野草が好ましいと言う奴も多いがな。」

それでも、桜が良いと。彼は言った。

「誰かに見て欲しい。誰かが待っていてくれる。その一心で、咲けば散るのも構わないで、必死に着飾って花を咲かせる。」

それが、地味な強か顔で生きる野草より、いじらしくて好ましいのだと。

彼は、私に向き直った。

「俺は、江戸を離れる。帰りは何年後になるかは分からない。その時どう心変わりしているかも分からない。だが、俺は此処に戻って来るつもりでいる。それで、お前は俺を待っていてくれるのか。くれないのか。」

紅の瞳が、真っ直ぐに、透かす様に私を貫いて満たして行く。熱い物が、目の底からせりあがって来るのが分かった。私は、だらしなく目元の化粧を崩し、涙を拭う事もしないで、只、こくんこくんと何度も何度も頷くのだ。

「…何時までも、待ってる。」

辛うじて絞りだした声は、小さく擦れていた。聞こえただろうか。紅珠郎の深い紅が、綻んだ様に見えた。

「そうか。」

私は堪らなくなって、彼の胸に飛び込み声を殺して泣いた。紅珠郎の厚い胸板は、何時だって黙って私を受け止めてくれる。

潤んだ視界には、今がそれよと咲き誇る庭の桜が、ひらひらと花びらを散らすのが写っていた。
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