正夢、誤夢

――トントントン
料理も、慣れた。中学に上がって、母1人子1人で暮らす大変さをようやく理解したあたしは、夜ご飯を用意するようになった。
母は、
―中学生のうちは部活にでも打ち込みなさい―
なんて言っていたけど、特にやりたいスポーツもなく、かと言って文化部に入る気も起きず、帰宅部を選んだ。



今思えば、父親も不憫だったかもしれない。

優しい父親だった。
本当に優しい父親だった。

父と母では、母の方が3歳程年上で、会社では母の方が立場が上だった。
それに母は要領も良く、愛想も良い。ちなみに顔だって悪くない。出世は目に見えていた。

そんな女の出世を快くしない輩は、当然のようにたくさんいた。

―あいつは、部長と寝たんだ
―いや俺は、社長ってきいたぞ
―やだぁ~、橘さんって、そう人なのぉ~?
―ギャハハハハ
―ギャハハハハ…


噂なんて気にする母ではない、と言いたいところなんだけど、母だって人の子だ。人並みに傷つく。
休憩があるごとに化粧直しにむかい、男に色目を使う女と違って、いつも必死に、がむしゃらに頑張った。が、男と言うのは表面しか見ていない生き物のようで。いや、もしかしたら気付いているのかもしれない。母の頑張りは一目瞭然だった。
やはり、人の三大欲求である性欲には勝てないのだろうか。恋愛は性欲の言い訳と聞いたことがある。誰だって、気丈に振る舞う母より、腰をくねくね曲げて、笑顔でお茶を出す若い女が好きだろう。

同僚はみな、寿退社して、気付けば母は1人ぼっちだった。



――――――――――


―橘先輩?
カタカタカタカタカタ
―橘先輩。
カタカタカタカタカタ
『橘先輩っ!!!!』

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