正夢、誤夢
(今ならわかる気がするなぁ…)
なぜ、中学や高校ではなく、小学校で言われるか。
なぜ、扉と表現したか。
なぜ、扉は消えず、鍵がかかってしまうだけなのか。
小学生には、きっと自分の前にはたくさんの扉があるのだと、疑うことをしないのだろう。
自分だってそうだった。
しかし今ではどうだろう。
あの時の自分は、こんなこと想像していたのだろうか。
人ではなく、パソコンと向かいあう自分を。
人の言葉を、善意を、曲がった角度からしか受け取れない自分を。
今、きっと扉は開かれているのだろう。
しかし、その数はわずかだ。
そしてもしかしたら、選んだ扉の奥行きは、酷く狭かったのかもしれない。
チラッ
もう一度、彼をみる。
彼の目の前には、まだたくさんの扉がある気がする。
すでに成人しても、なお。
そしてもしかしたら、自分の目の前の扉の鍵を持っているかもしれない。
少し、気が軽くなる。
ちょっと、やる気がでる。
(夜が楽しみだ―…)
早くおわらしちゃおー。
語尾が伸びる。
声のトーンがあがる。
きっと、彼は、鍵を持ってる。
そう確信した。
そして願わくは、彼と同じ扉を開きたい。
同じ扉の先を見たい。
柄にもなく、そう願った。