正夢、誤夢
序章の序章
夢―それは古来より誰もが見るものだ。見るという動作よりも、想像している状態、と言った方が語弊が少ないだろうか。
そして、昔から変わらぬのは、誰もそれを支配できないのだ。今だかつて、夢を完全に支配したものがいるのだろうか。いたとするなら、是非とも会ってみたい。
平安時代には、夢に見るというのは、夢に出てきた登場人物が、夜、体から魂を抜け出して自分に会いにきたのだと解釈されていた。
―なんと自己本位な解釈だろうか。自らが恋慕い、思いをはせ、強く願うあまり夢にまで登場してしまった人物を、向こうから私に会いに来たのだ―…など、勘違い甚だしい。
このように、昔から夢というのは何とも自分の力ではコントロールできないのが相場である。