龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~
 愛情を込めて、乙女はいった。しかし、龍馬にはわからない。
 乙女はいろいろな手で弟を鍛えた。寝小便を直すのに叱り、励まし、鏡川へ連れていっていきなり水の中に放りこんで無理に泳がせたり、泣いているのに何べんでも竹刀を持ち直させて打ちすえたり………いろいろなことをした。
 そんな龍馬も成長すると、剣の腕もあがり、乙女のおかげで一人前の男になった。
 十九歳の頃、龍馬は単身江戸へむかい剣術修行することになった。
 乙女はわが子のような、弟、龍馬の成長に喜んだ。
 乙女は可愛い顔立ちをしていたが、からだがひとより大きく、五尺四、五寸はあったという。ずっとりと太っていてころげると畳みがゆれるから、兄権平や姉の栄がからかい、「お仁王様に似ちゅう」
 といったという。これが広がって高知では「坂本のお仁王様」といえば百姓町人まで知       らぬ者はいない。乙女は体が大きいわりには俊敏で、竹刀を使う腕は男以上だった。末弟に剣術を教えたのも、この三歳年上の乙女である。
 龍馬がいよいよ江戸に発つときいて、土佐城下本町筋一丁目の坂本屋敷には、早朝からひっきりなしに祝い客がくる。客はきまって、
「小嬢さまはぼんがいなくなってさぞ寂しいでしょう?」ときく。
 乙女は「いいえ。はなたれがいなくなってさっぱりしますきに」と強がりをいう。
 龍馬が十二歳のときに母親が死んでから、乙女は弟をおぶったり、添い寝をしたりして育ててきた。若い母親のような気持ちがある。それほど龍馬は手間のかかる子供だった。 いつもからかわれて泣いて帰る龍馬は、高知では「あのハナタレの坂本のぼん」と呼ばれて嘲笑されていた。泣きながら二丁も三丁も歩いて帰宅する。極端な近視でもある。
 
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