多幸症―EUPHORIA―
 人は誰しも、決められた器の中で生きようとする。それが本人の願うところのものでなくとも。

 ぼくは高校生という立場であるとともに、「橘亜草」という名の知れた俳優だ。そういう眼で世間がぼくという人間を見ているのだ、と意識する様になったのは何歳の頃からだったか。
 決められたぼくの姿。
 それを裏切ってはいけない。
 ぼくはいつだって、人の眼ばかり気にして来た。人にどう見えるかばかりが、ぼくの心を支配した。
 嫌だと心の何処かで感じていたとしても、常にぼくは思い知らされる。

 あの日もそうだ。

 七月の初めのある日、廊下で同じクラスの学級委員の女子に肩をたたかれた。

『橘くん、文化祭の実行委員長にしちゃった。満場一致』

 そう言って、彼女はにっと笑顔を浮かべた。

『えっ、前に他の人にしてくれないかなって言ったじゃないか』

 ぼくは眉をひそめた。
 文化祭の実行委員長と言えば、文化祭そのものを取り仕切り、当日は壇上で挨拶やら言わされたりするものだ。はっきり言って、ぼくは仕事以外では人前に出るのは得意では無い方だ。だから、そういうことは、人前で喋るのが生き甲斐の人にやらせたら良い、と薦めたのだ。
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