多幸症―EUPHORIA―
『大丈夫、大丈夫。橘くんが仕事忙しいのは知ってるから、当日だけちょっと挨拶してくれればいいんだって。他の仕事はあたしたちがするから』

 何が大丈夫なんだろう。

『だってね、橘くんって有名人だし、学校の評判にも繋がると思って』

 可愛らしい学級委員はぼくの人権などまるで無視して、さらりとそんなことを言う。

『そうそう』

 隣りに居た彼女の友人まで声を大きくして、本格的にぼくの説得に掛かった。

『現役高校生で大人顔負けの演技する俳優って言ったら、知らない人の方が少ないんじゃないの』  そう言って、雑誌に組まれた「橘亜草特集」の記事を半ば強引にぼくに見せる。

『商品扱いしないでくれよ』

 ぼくは雑誌を軽く払いのけると、心持ち迷惑そうな顔で精一杯の抵抗をした。彼女らに勝てる自信が無い以上、あまり強く言えなかった。それが敗因だったのか、全く通じていないようだった。終いには、「橘くんは愛校心がないのかっ、ひどい!」と責めたてられてしまった。

 やむなく、ぼくはその役を引き受けることにした。こうなったら、演じてやろう。
 模範的な高校生で。  ぼくは彼女たちが去ってゆく後ろ姿を眼で追いながら思った。
 彼女たちは騙されている。
 橘亜草という人間に。彼女たちだけでは無い。ぼくを見る多くの人間が。「橘亜草」なんて優れた俳優なんか存在しない。
 居るのは――、偽りの仮面を被った男だけ……。

 それはまるで詐欺師だ。自分さえ騙せるくらいの技術を持った最低の詐欺師。
 けれど、仕方ない。
 ぼくは凡てを騙していかなければ、生きられないのだから。

 まるで、
 虚構の世界でしか生きられない人形の様に――…



(『多幸症―EUPHORIA―③』橘亜草の場合(二)/了)
< 14 / 20 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop