もてまん

「じゃあ、繁徳、あたしらは消えようか」


(俺も舞のピアノ聴きたいな)


後ろ髪を引かれるように、繁徳は千鶴子に促され、渋々足を前へ進めた。

きっとまた聴く機会もあるだろう、と繁徳は自分を納得させる。

それより何より、繁徳は舞と自然に打ち解けている千鶴子に驚いていた。


「いい娘じゃないか」


居間に入るなり、千鶴子が切り出した。


「舞のことですか?」

「そうだよ」

「舞がピアノ弾いてたなんて、知らなかったな。高校では、吹奏楽部だったし」

「ピアノ部なんてないからね」

「そっか……」

「換気扇のことだけどね、あたしは昔、あのスイッチ入れ忘れてピアノ弾いてて、死にかけたことがあるのさ」

「ほんとですか?」

「幸い、通いのお手伝いさんが来る日でね、あたしがいないのに気がついて、レッスン室のドアを開けてくれたから助かったのさ」


千鶴子は、キッチンに立つと三人分のお茶の用意をはじめる。


どこから見ても、千鶴子が鼻歌混じりで上機嫌なのは間違いない。
< 119 / 340 >

この作品をシェア

pagetop