もてまん
幸子もきっと、あの頃のことを想い出してるのだろう。
遠くを見つめる幸子の瞳。
彼女は遥か昔の幸せの記憶を辿り、言い知れぬ思いに身を委ねていたのだ。
「それなら、まっ、いいか」
幸子は吹っ切れたように、笑顔でそう言った。
「夕飯は、期待してるわよ。大物、釣ってきてよね」
幸子の声が、急に弾む。彼女は郷愁に浸るより、現実の楽をとったのだ。
「小物のから揚げくらいは、期待してていいよ。何せ、随分ブランクあるから、大物はちょっね。
ねぇ、父さん」
「あぁ……まぁな……」
「正徳さんは、何だか頼りなげじゃない」
「……」
「そんなことないよ、ねぇ、父さん」
無言の正徳の代わりに、繁徳が答えた。
「獲物、期待されてもなぁ」
ボソリと正徳が呟く。
「冗談よ。釣り、楽しんで来てね」
幸子の声が、不自然に、また弾む。
(父さん、なんでそんな反応するんだよ)
繁徳は、母幸子を前にして急変した正徳の態度をいぶかった。
ついさっきまであれ程愉しげに浮かれていた正徳が、急に硬直するのを不思議に感じていた。
(母さんに何の不満があるんだ? 母さんが可哀想じゃないか)
繁徳はちょっと責めるような気持ちで正徳の顔を覗き見た。
その思いは覆される。
繁徳の目に映ったのは、少し青ざめて、手元の釣具をいじりながら俯く正徳の姿だった。