もてまん

「もう、指ならし、いいのかい?」

千鶴子が舞に聞いた。

「今の私を見てもらうのが目的だから、今更ジタバタしてもはじまらないかなって」

「案外、度胸があるじゃないかい」

「兎に角、聴いて下さい」


緊張する舞の後ろに付いて、千鶴子と一緒にレッスン室に入る。

千鶴子は、大きな金属製のハンドルをガチャンと上に上げて扉を閉めた。

空気の引き締まる緊迫感。

続いて千鶴子は換気扇のスイッチをオンにした。

一連の流れるような動作、微かなファンの響き。

繁徳はこの小さな部屋に閉じ込められたことを実感する。

もう何処にも逃げることはできない。



舞がピアノの前に、静かに腰を下ろす。

繁徳は千鶴子と並んで、部屋の奥に用意された椅子に座った。




「ショパンのボロネーズ〈英雄〉を……」




舞は大きく息を吸い込むと腕をピアノの上にふわりと置いた。

次の瞬間、その指の先が三人の緊張を破る。

舞は全身でピアノに挑みかかっていった。
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