もてまん
途中、玄関のすぐ脇の部屋はドアが半開きになっていて、中にグランドピアノが見えた。
(レッスン室だ)
繁徳は、千鶴子が自分はシャンソン歌手だ、と言っていたことを思い出す。
(ほんとだったんだな)
そんな一つ一つ発見する事実が、繁徳の興味をそそっていく。
繁徳が通されたのは、廊下の一番奥の居間。
それは、広いリビングダイニングで、初夏の日差しがレースのカーテン越しに部屋いっぱいに降り注いでいた。
そして、部屋中に甘い香りが漂っていた。
「そこにお座りよ」
勧められたのは、キッチン脇にすえられた二人かけのコーヒーテーブル。
「クッキーを焼いたから、紅茶でいいかね? それともコーヒー党かい?」
「千鶴子さんが焼いたんですか?」
「久しぶりのお客だからね。特別だよ。
なんだい、意外かい?」
「そういう訳じゃありません。
俺の母さんも、昔はよくクッキーとか焼いてくれたんだけど、最近はさっぱりだし、だから、なんだか懐かしいくて、この匂いが……」
繁徳はそう言いかけて、部屋に立ち込める懐かしい甘い匂いを吸い込んだ。