もてまん
そのとき、あたしゃ、もう三十近かった。
『行かず後家』って言葉、知ってるかい?
後家っていうのは、夫が死んだ後も独り身を貫く嫁のことさ。
『行かず後家』ってのはさ、嫁にも行かずに独身で過ごしてる女のことを蔑む言葉なのさ。
昔の三十っていや、もう、『行かず後家』って言われる歳さ。
あたしの家は旧家だったからね、それまでは、それなりに条件の良い見合い話があった。
でも、なんやかやと難癖つけて、いつも断ってたんだよ。
それが、三十にもなると、もう後添えの話くらいしかこなくなって。
後添えって、わかるかい?
そうだよ、死んだ嫁の後に後妻で入るってことさ。
たいがいそういう家には、子供がわんさかいる。
何が悲しくって、人の産んだ子の面倒をあたしが見なきゃいけないのさ。
つまりね、あたしは自分の将来について真剣に考える岐路に立たされていたのさ。
後添えに入っても結婚を取るか、このまま独り身を貫くか。
その時のあたしには、歌が全てだった。
だからあたしの頭ん中は、もう教師なんか辞めて、フランスにシャンソンの勉強に行きたいって……
どうせこの先一人で生きていくんなら、自分の好きなことをして生きて生きたい。
腹をくくろうって。
あの時は、この先に進まなきゃ後がないって、自分の思いに忠実だった。
それくらい、切羽詰っていたのさ。
思い切って親に話したら、あっさりオッケーって言うじゃないか、驚いたよ。
でもね、その話には裏があったのさ。