もてまん
千鶴子の目は堪えた涙で赤く腫れ上がり、唇は言葉を紡ぐ度、震えていた。
(嗚呼、こんなに年月が経っても忘れられない想い出ってあるんだな……)
繁徳は、感情を高ぶらせた千鶴子を冷めた気持ちで見つめていた。
(母さんと父さんにも、そんな想い出があるんだろうか?)
繁徳は、そんな突拍子もないことを想像し、恥ずかしくなる。
「なんだか、若いあんたを目の前にするとね、想い出がやけにリアルに甦っていけないね。
フランシスのことなんか、ここ何十年も忘れていたのにさ」
千鶴子はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。
「今日はこのへんで、お終いにしていいかい。
年甲斐もなく、気持ちが高ぶってね、これ以上話せそうにないよ。
続きはまた今度。来週も来れるかい?」
「えっ、まあ……」
「じゃあ、来週またこの時間で。待ってるよ」
千鶴子は、そういうと繁徳を玄関へと急き立てた。
繁徳自身も、早くこの場を去らなければならない使命感に背中を押され、靴に足を滑り入れると、かかとを収める間も惜しんで玄関の外へ飛び出した。
(フランシスが〈もてまん〉だとして、ジョージ・クルーニばりの男前の真似なんか、俺にできる訳ないだろ)
と繁徳は苦笑した。
千鶴子をあるがままに愛そうとしたフランシス。
繁徳は、『人を愛し、愛される感覚』に思いを馳せる。
そして、大通りの坂道を下りながら、いつしか予備校で一緒の舞のことを考えていた。