もてまん
繁徳は、カウンターから皿をとり、自分のカップにインスタントコーヒーを作る。
コーヒーをすすり、トーストをちぎっては目玉焼きの黄身につけて食べる。
繁徳は食べながら、正徳のちょっとくたびれた背中を思い浮かべた。
「父さんが、女の人をくどく姿って、想像できないよなぁ」
繁徳の言葉に、幸子がちょっと驚いたように顔をあげる。
「そうね、確かに父さんは、軟派じゃなかったわね」
幸子の目がクルクルと動いた。
これは、何か話し始める時の幸子の癖だ。
「母さんと付き合ってた頃もね、ほら、母さんと父さんは同じ実験室で働いてたじゃない?
日頃から、実験を手伝ってくれたりして優しかったんだけど、言葉でどうこう言うことは無かったわね。
デートだって、母さんから誘うことの方が多かったくらい。
ところがね、ある晩、会社の帰り道、めずらしく父さんから、少し遠回りして帰りませんかって……
月のきれいな晩だった……
厚木の工場の外れにね、小さな高台があって、そこが公園になっててね、二人で公園のベンチに腰掛けて月を眺めてたの……
するとね、父さんが急に真剣な顔で、母さんの目をじっと見つめてね、
『幸子さん、きっと幸せにします。僕と結婚してくれませんか』って」
幸子の目が、じっと繁徳の顔を覗き込んだ。
「えっ、それだけ……」
「何言ってんのよ! 心が通じあったっていうか、母さん、その時、父さんって人の心に触れた気がしたのよ。
嗚呼、この人は、私を本当に好いてくれてるって、確信したっていうか……」
「それが、ぞっこんね……」
「そうよ」
どうやら、幸子の思い込みは、冗談などではないらしい。