スキ
昔“人魚姫”を読んで、思った。

私は絶対泡になんかなるもんかって。

泡になるくらいなら、王子の胸にしっかりとナイフを突き刺すんだって。

お姫様を選ぶ見る目のない王子の為に、死を選ぶなんて馬鹿げてる。


──空を見上げれば、ビックリするほどに澄んでいて。

このまま身を任せれば、青の中に吸い込まれてしまいそう。

人魚姫が、昇った、空……。

私達が座るベンチの向こうに、風船を配るピエロの姿が見えた。

子供達がその周りを囲んで、ピエロの赤鼻を見上げ、笑ってる。

──ピエロ。

まるで、今の私みたい。

私は隣の彼をチラッと見上げてから、足元に視線を落とした。

今日彼が私を呼び出した理由なんて、最初からわかってる。

上司の紹介で、どこだかのご令嬢とお見合いしたのも、知ってた。

そのご令嬢が、彼のハートを射止めてしまったのも。

気づいてた。

わからないはずないじゃない。

3年も一緒に思い出を積み重ねて来たんだから。

だから、今日私は、人魚姫ができなかった事を代わりにするの。

そっとポケットから取り出すと、私はそれを思い切り彼の胸に当てた。

けど、刺さらない。

──刺さるはず、ない。

それはナイフじゃなくて、ただの錆びた鍵……だったから。

私達の3年分がぎっしりと詰まった、合い鍵。

「……ご」

彼が何かを言いたげに口を開いた。

私は慌てて

「好きな人できたの。だから、別れよ」

早口で彼よりも先に言う。

なのに

「……ごめん」

彼が言った。

今の流れからして、振ったのは私なのに。

「謝らないでよっ……」

私は隣に座る彼の背中を押した。

みじめなピエロが余計みじめになるじゃない。

「早く、行って」

ご令嬢さんが、あんたを待ってるんでしょ?

心ときめかせて、何も知らずに待ってるんでしょ?

「早く行け!」

躊躇う彼に、私は怒るように言った。

黙って立ち上がった彼は、私に背を向けて、歩き出す。

その手に、3年分の思い出を閉じ込めて──。

やっぱり私も、同じ。

王子にナイフを突き刺すなんて、できなくて。

泡になるのを待つだけ。


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