妖不在怪異譚〜唐傘お化け〜
唐傘お化け
番傘の浪人
「まったく、よく降る雨だな。」
松葉色の格子模様の着物に、束ねただけのざんばら髪。
すり減った畳に腰をおろして、藤次は障子の隙間から空を見上げた。
…ここは裏通りの川沿いにある、一軒の蕎麦屋。
彼以外に客はおらず、ただ雨音だけが鳴り響いている。
その音に合わせるように、一つ大きなため息をつく。
「はぁ〜。」
それは我が身を嘆いてのことだった。
彼は元は相模に住む奉公人であった。
しかし、ある騒動から家君はお取り潰しの憂き目に遇い、流れ流れてこの江戸まで来たのである。
かろうじて大家のツテで、傘作りの仕事を貰ってはいるが、その日暮らしは否めない。
…楽しみといえば、たまに行く蕎麦屋での熱燗だった。
「じゃあ、ちょっと出ていくよ。」
そう言って土間の奥へ声をかけるが、妻からの返事はない。
聞こえないかのように、かまどの掃除をしていたのを思い出した。
(…なんでこんなことになっちまったんだろうな。)
藤次はもう一度ため息を突くと、手に持つお猪口を飲み干した。
…最後の一杯。
徳利の酒も底をつき、振ってみても滴すら垂れない。
「お愛想してくれ。」
藤次は重い足取りで、席を立った。
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