ミモザの朽ち木
翌日から俺は、それまでほとんど無干渉だった流利子のプライベートを徹底的に調べ上げた。
日曜日には流利子を尾行した。
陶芸教室に通っていること自体は嘘ではなく、あのとき一緒にいたのは講師であり経営者でもある、乙ヶ部という男だった。
三週に渡って尾行を繰り返したが、流利子はその三度とも、乙ヶ部とホテルに行った。
平日、勤務先から家に電話をかけても、出ないことがほとんどだった。
あの男とやりまくっているに違いなかった。
思えば、流利子が生き返ってから最初に訪れた日曜日、あの時にはもう流利子は陶芸教室に通っていた。
初めから、そう、初めから流利子は、乙ヶ部と関係を持っていたのだ。
二年間、いや、俺にとって空白の十三年間を含めればもっと長い期間、乙ヶ部と密会を重ねていたのかもしれない。
この時、俺は生まれて初めて殺意というものを抱いた。
日曜日には流利子を尾行した。
陶芸教室に通っていること自体は嘘ではなく、あのとき一緒にいたのは講師であり経営者でもある、乙ヶ部という男だった。
三週に渡って尾行を繰り返したが、流利子はその三度とも、乙ヶ部とホテルに行った。
平日、勤務先から家に電話をかけても、出ないことがほとんどだった。
あの男とやりまくっているに違いなかった。
思えば、流利子が生き返ってから最初に訪れた日曜日、あの時にはもう流利子は陶芸教室に通っていた。
初めから、そう、初めから流利子は、乙ヶ部と関係を持っていたのだ。
二年間、いや、俺にとって空白の十三年間を含めればもっと長い期間、乙ヶ部と密会を重ねていたのかもしれない。
この時、俺は生まれて初めて殺意というものを抱いた。