キスより先はお断り!
「ああ、これはそっちの文法を使うんだよ」

「あ、なるほど!」

 目の前の安堂くんは、そんなことを感じさせない。
むしろ、この塾に入って初めてまともに勉強した気さえする。


 昨夜、帰宅しても悠里から連絡はなかった。

自分から『キスより先はお断り』だなんて言ったはいいけれど、本当をいうと、ちょっと寂しい。

だから、少しは反省して「ごめん」の一言くらいあるかと思った。そうしたら、きっと許せたと思う。


なのに、全くのスルーだ。


 些細な時間さえ、気づけば悠里のことを考えている。

一方的にも似たこの感情が、時に胸をぎゅっと締め付けるように切なくなる。


 悠里にとって、あたしってなんだったんだろう。

そんなことを考えてしまうくらい、なんだか悲しかったんだ。


「安堂くん、バイバイ」

 ロビーで向かい合って勉強していても、頻繁に声をかけられる安堂くん。

安堂くんはあたしに申し訳なさそうにしながらも、きちんと挨拶を返す。


 きっとこのベビーフェイスと優しい口調は、女の子の意識を一気にひきつけてしまうのだ。


 先生モードの悠里とは互角?
いやいや、常に優しい安堂くんの圧勝ね!


「ごめんね、なんか集中できないよね。…どこか静かな場所でもあればいいんだけど…」

 苦笑いをこぼす安堂くん。


 そして、あたしはふと頭をよぎる。

針の先でつついたみたいに、少しチクッとしたけれど、知らないわけじゃなかった。



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