アリィ
「あ、こんなところにあった。部長、お騒がせしてすみませんでした。
今度こそ、失礼しますね」
女性はテーブルの上の携帯電話を見つけると、父に確信犯の目配せをして帰っていった。
父は女性を見送ることも忘れて、居間の入り口に突っ立ったままだ。
私は彼女のことを知っている。
彼女は、数ヶ月前にデパートの宝飾品売り場で見かけた父『そっくり』の男性の隣にいた、あの女性だ。
そして、最悪の記憶をよみがえらせる、父には似合わない品のいい香水、
あの日車の中で父から漂ってきた匂いが、居間にかすかに残っていて私はすべてを悟った。
そういうことか。
父は、どうしようもないときを、ひとりで消化していたわけではなかったんだ。
母がいない隙間を埋める術を、ちゃんと持っていたんだ。
私がひとり、もだえ苦しんで助けを求めた、あのとき。
自分は彼女に寂しさを癒してもらっていた。
そして、その時間を邪魔した私に腹を立て、言ったのだ。
「たかが生理痛で」
父は、こちらを向こうとしない。
涙も出なかった。