アリィ
久しぶりに足を踏み入れた父のテリトリーは、以前となんら変わっていなかった。
ただ、あまり生活感がない。
家具が死んでいるような気がする。
もしかしたら最近は寝にも帰って来ていないのかもしれない。
床を踏みしめる度に嫌悪感が背筋に走って鳥肌が立つのをこらえながら、私は母の遺影の前に立った。
相変わらず、この写真の女性は見知らぬ誰かのような気がする。
私と違ってくっきりとした二重だし、お化粧はちょっと古臭いけれど、とても綺麗な顔立ちをしている。
でも、母なんだ。
たしかに過去存在して、私をこの世に産み落とした。
ときどき夢に出てきて、「大好きよ」って、誰も言ってくれないことを言ってくれる唯一の人。
遺影に手をのばしてみる。
すがりたい。
すがらせてほしい。
「お母さん……」
だけど、四角いフレームの中の母はうっすら微笑んでいるばかりで、うんともすんとも言わない。
私の名前すら呼んでくれない。
この壊れそうな精神を、くみ取ってはくれない。
私を抱きしめる腕も、なぐさめる胸も持っていなければ、ましてや今私が置かれた状況を知ることすらない。
だってこの人はもう、この世にいないんだから。