短編集
「――返せ」
心臓がはねた。
今、はっきりと声が聞こえた。
手が震えるのがわかる。
ジャケットを固く握りしめ、胸に抱く。
後ろをゆっくり振り返る。
誰もいない。
周りを見回すが、あるのは『工事中』の標識と大型の機械だけ。
誰もいないことにほっとしたのと同時に、新しい恐怖が芽生える。
怖い。
くるりときびすを返し、玄関に向けて走り出す。
「――渡せ」
もう一度、声が聞こてきたけど、私は振り返らなかった。
“恐怖”というものを私は生まれて始めて理解した――