短編集
礼儀を教えたのは、私の家が名家であるのと同時に母の私情も入っていたに違いない。
それが私への愛情からくる優しさだったのか、自分を私に重ねているだけなのかはわからないが。
それでも私にとって、母は唯一の理解者であった。
母は、一度だけ自分の母である当主様に逆らったことがある。
私が学校へ行ってみたい、と言った時だ。
私はある部屋の前で立ち止まる。
「失礼します」
その頃の当主様は、今以上に俗世間に偏見を持っていた。
当主様にとって、私達東雲家以外の人間は格下の使用人以下の者達でしかなかったのだ。
母は何度も何度も当主様にお願いをし、私が学校へ行くための手続きをしてもよいという了承を得た。
かくして私は小学2年生の秋から、学校に通うようになった。
当時の私にとって、めんどくさいものとしか思えなかった学校。
それは私のひょんな一言と、とてつもない母の苦労によって叶えられたものだったのだ。
私には、新学期となり学校にまた通い始めるので、今朝はやらねばならないことがあった。
当主様への、ご挨拶だ。
私はずっと、当主様の一言を待っていた。
「入りなさい」
当主様のいつもと変わらない女性にしては低く、腹の底に響く威厳たっぷりの声だ。
手にイヤな汗がでてじっとりとする。
私は右手で制服をぎゅっとつかみ、ああ、洗い立てなのにと少し後悔してから離し、それからゆっくりと戸をあけた。
戸を閉め、座布団に座り礼をし、当主様の方を見る。
眉を少し上げ、目は真っ直ぐにこちらを見て、口をへの字に結んだ、いつもと変わらぬ毅然とした顔。
恐ろしかった。
当主様ははるか高みから私を見ていた。
いくら家が広く、しきたりもあって当主様と顔をあわすことは少ないとはいえ、ずっと一緒に暮らしているのに、この目には慣れることが出来ない。
「当主様、今日からまた学校に行ってまいります」
「そうですか」
用件を伝えたとたん、当主様が素早く返答する。
私はどきどきしながら当主様の次の言葉を待った。
「いってよろしい」
顔を伏せ、深い溜息をつきながら当主様は言った。
それが私への愛情からくる優しさだったのか、自分を私に重ねているだけなのかはわからないが。
それでも私にとって、母は唯一の理解者であった。
母は、一度だけ自分の母である当主様に逆らったことがある。
私が学校へ行ってみたい、と言った時だ。
私はある部屋の前で立ち止まる。
「失礼します」
その頃の当主様は、今以上に俗世間に偏見を持っていた。
当主様にとって、私達東雲家以外の人間は格下の使用人以下の者達でしかなかったのだ。
母は何度も何度も当主様にお願いをし、私が学校へ行くための手続きをしてもよいという了承を得た。
かくして私は小学2年生の秋から、学校に通うようになった。
当時の私にとって、めんどくさいものとしか思えなかった学校。
それは私のひょんな一言と、とてつもない母の苦労によって叶えられたものだったのだ。
私には、新学期となり学校にまた通い始めるので、今朝はやらねばならないことがあった。
当主様への、ご挨拶だ。
私はずっと、当主様の一言を待っていた。
「入りなさい」
当主様のいつもと変わらない女性にしては低く、腹の底に響く威厳たっぷりの声だ。
手にイヤな汗がでてじっとりとする。
私は右手で制服をぎゅっとつかみ、ああ、洗い立てなのにと少し後悔してから離し、それからゆっくりと戸をあけた。
戸を閉め、座布団に座り礼をし、当主様の方を見る。
眉を少し上げ、目は真っ直ぐにこちらを見て、口をへの字に結んだ、いつもと変わらぬ毅然とした顔。
恐ろしかった。
当主様ははるか高みから私を見ていた。
いくら家が広く、しきたりもあって当主様と顔をあわすことは少ないとはいえ、ずっと一緒に暮らしているのに、この目には慣れることが出来ない。
「当主様、今日からまた学校に行ってまいります」
「そうですか」
用件を伝えたとたん、当主様が素早く返答する。
私はどきどきしながら当主様の次の言葉を待った。
「いってよろしい」
顔を伏せ、深い溜息をつきながら当主様は言った。