妖不在怪異譚〜船幽霊〜
縄ばしごを登りきると、そこは見覚えのある光景だった。
置かれた樽や机、船員が書いた落書きまで以前のままだ。
かすかに揺れる足下の感触も、およそ幻のたぐいとは思えない。
「まあ、とにかく助かったんだよな。俺たち。」
礼一たちはお互いの体を抱えて、笑いあった。
ほのかに伝わる温もりが、さらに生きていることを実感させてくれる。
先ほどまでの疑念は、もはや彼の内から消えていた。
…もしかしたら、船が沈んだことこそが、何かの間違いだったのかも。
そして船に残っていた誰かが、助けにきてくれたに違いない。
礼一はそう自分に言い聞かせると、改めて自分たちの姿に気がつく。
…全身潮水にまみれ、頭からつま先までずぶ濡れだ。
風こそ吹いていなかったが、体の芯まで冷えきっている。
「このままでは風邪をひいてしまうな。まずは着替えてこないと。」
その言葉に、船上のみなが頷いた。
…その通りだ。
助けてくれた『誰か』に礼を言うにしても、まずは着替えてこなければ。
彼らはドアを開けると、それぞれの部屋へ向かって歩きだした。
廊下の灯りは消えていたが、どこからか差し込む光が明るく照らしていた。