サクラ
私の舎房の前で靴音が消えた。
「梶谷、どうした?」
ずっと立ったままでいる私を見て、若い刑務官は不思議そうな表情をしていた。
無言で答えない私に、彼は
「ようが無ければ、静かに横になってなさい」
と注意をした。
「ラジオの音が聴き取れないんだ。もう少しこのまま聴かせてくれ。」
彼は少し驚いた表情を見せた。
めったな事で職員にはそういう態度を取った事がなかったから、意外に思われたのかも知れない。
若い職員は、ぼそぼそと一言二言何かを言って、その場を立ち去って行った。
ラジオから届く彼女の声に、私は再び気持ちを集中させていた。
『……なんでもない事を、こうして素直な心、感受性で受け止められる…そんなK・Kさんのように、わたしは果たしてこういう気持ちで日々を過ごせてるのかなぁと、わたしなりに考えさせられたお便りでした。
K・Kさん、今夜は、どんなものが見えて、そして感じられますか?
そして、明日はどんなものが見えるのでしょう……。』
再び流れる音楽。 何故か、私の目は潤んでいた。感動とも少し違うもの。喜びと言うにはおこがましい、ささやかな感情の波が、私の心にゆっくりと波紋を作って行った。