妖不在怪異譚〜釣瓶落とし〜
釣瓶落とし
松の木と女房
爽やかな初夏の風が、軒下の風鈴を優しげに撫でる。
…チロチロリーン。
その音色を聞きながら、お米は木の皮の包みを紐で縛った。
中身はといえば、蒸かした芋に付け合わせの大根。
およそ贅沢とは言えなかったが、お米がこしらえた精一杯の弁当だった。
「では、これを届けに行ってきますので。」
井戸端に集まっている奥さんたちに会釈をして、裏路地へ足を進める。
…行き先は夫の藤次がいる、町外れの田んぼだ。
この時季はいつもそうで、人手の足りない農家の家に、田植えの手伝いをしにいっている。
給金こそなく出来た米や野菜の現物支給だったが、むしろお米にはそちらの方がありがたかった。
「あの人もすっかり真面目になっちゃったわよね。」
橋を越えてやがて見えてきた水田を見つめながら、彼女は呟いた。
…そう。
『あの日』以来、藤次は我が身を嘆くのをやめ、生まれかわったかのように仕事に精を出している。
今までの武士の誇りもかなぐり捨てて、生きることに前向きになっていた。
傘張りの仕事はもちろん、材木運びや田植えなど、頼まれれば嫌な顔ひとつ見せない。
…その頼もしげな横顔を思い浮かべて、彼女は少しはにかんだ。
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