妖不在怪異譚〜釣瓶落とし〜
貸し切りにした店の中には、すでに親戚や常連のお客さんたちが集まっていた。
…今日は早織の結婚前のささやかなお祝い。
ぐるりと囲んだ席の周りには、母方の祖父に充たる隆介の姿もある。
元は海軍の軍人で、いまは趣味の囲碁を楽しんでいる老人だ。
他にも懐かしい顔が並び、彼女は思わず泣きそうになった。
…こんなにもみんなが祝福してくれる。
「ほらほら。主役が泣いてちゃ駄目でしょ。みなさんにご挨拶しないと。」
母親に肩を押されて、彼女は前に進み出た。
「今日は本当に、私のためにありがとうございます。」
顔をあげたその瞳に、窓の外に流れる桜の花びらが映る。
それはまるで早織を祝福するかのごとく、いつまでも舞っていった。
いつか彼と出会った、あの雨のように…。
『桜の木と事務員』終。