妖不在怪異譚〜釣瓶落とし〜
そんなお米が、道端にある松の木の近くを通ったときである。
…ブチン。
耳障りな音がして、その草履の鼻緒が切れた。
「あら、嫌だわ。縁起でもない。」
お米は顔をしかめながら、草履を脱いで近くの石に腰掛けた。
…見れば根元が外れただけで、結わえれば何とかなりそうだ。
もともと、手先は器用なお米のこと。
近くに落ちていたわらくずでそれを結わえると、それをまた足に戻した。
「大丈夫そうね。」
…頷いて立ち上がろうとしたときだった。
松の木の上から、黒い影がスルスルと下りてくる。
そいつはお米の前に姿を見せると、傍らに置いていた弁当の包みを手に取った。
「あ、何するのさ。」
…そいつは一匹の猿だった。
顔とお尻が赤い山猿で、彼女に向かって白い牙を向ける。
「ひいっ。」
思わず声を挙げたのを尻目に、その猿は弁当を持ったまま走りだした。
…一瞬の出来事だった。
「あ、こら。お待ちよ。それは夫の弁当なんだから。」
ようやく我に返ったお米は、そう言って猿の後を追い掛ける。
…あれを持っていかれては、たまらない。
彼女は大声をあげながら、田んぼのあぜ道を走っていった。