妖不在怪異譚〜釣瓶落とし〜
…どれくらい走っただろう。
猿との距離は縮まるどころか、一向に狭まらない。
「お待ちったら、お待ちよ。」
息を切らしたお米の前から、やがて猿は姿を消した。
…どうやら納屋の陰に隠れたらしい。
お米はその戸口までたどり着くと、途端に自分の足音を消した。
猿を捕まえるには、こっそりと近寄りながら、一気にいくしかないだろう。
(でも素手じゃあ、危ないわね。)
…棒か何かで脅かせば、驚いて弁当を落とすかもしれない。
彼女はぐるりと周りを見渡すと、草むらから折れた太い枝を手に取った。
「見てらっしゃいよ、性悪の猿め。人様の弁当を盗るなんて。」
ブツブツと言いながら、忍び足で納屋の裏へと近寄る。
…すぅ、すぅ。
その裏手からは、人を馬鹿にしたような猿の声が聞こえてくる。
やがて物陰からその後ろ姿を見たお米は、棒を両手に握りしめてそれを高くかかげた。
「こらー!。」
そう叫びながら、飛び出そうとしたとき、
「…うん?。」
彼女は叫ばずに、棒を抱えたまま立ちすくした。
…そこにいたのは、先ほどの猿とその子供の小さな子猿。
仲良く芋を分け合いながら、美味しそうに頬張る光景だった。