妖不在怪異譚〜釣瓶落とし〜
「あらまあ、子供がいたのね。」
先ほどまでの怒りも忘れて、お米はそれを物陰から見守った。
…猿が人里に降りてきてまで、人間の弁当を奪うとは、よほど腹を空かせていたのだろう。
それは子猿の喜びようを見ても、一目瞭然だ。
「まあ、しょうがないわね。旦那様には我慢してもらいましょう。」
彼女はそう呟くと、また足音を忍ばせながらその納屋を離れた。
棒きれを草むらに戻して、走ってきたあぜ道を引き返す。
最初に猿と出会った松の木の前を通り、そのまま道ったいに行けば、田んぼの中に人影が見えてきた。
…前屈みになりながら田植えをする人たちで、その手前に笠を被った藤次の姿もある。
「あんた、来たわよ。」
お米は手を振りながら、自分の夫へと笑いかけた。
「なかなかその姿も様になってるじゃないの。いっそお百姓さんになってみる?。」
「ハハハ。馬鹿を言うな。でも、それもいいかもな。」
顔を上げた藤次もまた笑ったが、何も持っていないお米を見て、不思議そうな顔をした。
「ところでお前、弁当は?。」
「ああ、お弁当ね。悪いんだけど、来る途中でお腹を空かせた猿にあげちゃったわ。」
「猿にあげた?。」