迷宮の魂
「これでお湯が出ます」
「ありがとう」
一応、礼は言ったものの、バルブを開けなきゃお湯が出ないのなら、何故、私が来た昨日のうちにやっといてくれなかったの、という憮然たる思いにかられた。
彼に軽く会釈をし頭を下げた時、偶然、彼の左の袖口に目が行き、古い傷が何本もあったのを見つけた。
美幸の視線に気付いた彼は、ズボンのポケットにその手を入れ、その場を足早に立ち去って行った。
見られたくない傷なのかなあ……
漠然とそんな事を考えていたが、すぐにそれも消えた。
とにかくお風呂に入らなきゃ……
寝汗でべとつく下着を脱ぎ捨て、漸く湯の溜まった湯船に飛び込んだ。
時間を掛けて風呂に入り、汗とともに前日のアルコールを抜く。夕食の時間迄まだ時間があったから、散歩でもしてみようと思い、海の方へ行ってみた。
フェリーの着く港の横に、海水浴が出来そうな小さな浜があった。そこは、人工的に作られた浜で、本格的なシーズン前だからか、補修工事を行っていた。
その海水浴場の入口に、オープンテラスのカフェがあった。そこで冷たい物でも飲もうかと、入ってみる事にした。
カウンターに一人ぽつんと座っている女性客が居た。
遥だった。
「こんにちは」
「あら、新人さんじゃない」
彼女の手にはビールの小瓶があった。
「お仕事前からいいんですか?」
「こんなの酒のうちに入らないわよ。よかったらあんたも飲む?」
残り少なくなった小瓶の中身を飲み干しながら、遥が聞いて来た。