迷宮の魂
その女が保護されていた施設は、アルコールや薬物の依存症で、重度の障害者になってしまった者が主に入っていた。
女は自分の名前も年齢も言えず、殆ど廃人のような状態で保護されて来た。
長い期間、路上生活をしていたのか、着ていた物もボロボロで、人間の態を成していなかった。
保護された当初はよくうわ言を口にし、ハルカとかナオさんというような名前を言っていて、施設の者がその名前を呼ぶと反応が見られた。特に、ナオさんと言って上げると非常に喜んだものだから、いつの間にかこの女をナオさんと呼ぶようになった。
常駐の医師による所見によれば、重度の脳障害に掛かっており、原因は薬物とアルコールの過剰摂取から来るものと診断された。
彼女を保護した福祉課のケースワーカーによれば、横浜の伊勢佐木町にある飲食店から、店先に何日も前から気の狂った女が寝ているとの苦情が寄せられた為、保護したという。
周辺の商店主や住民から事情を聴いたところ、今年になってから姿を見掛けるようになったらしい。
一目見て狂人と判るほど、その行動は異常で、商店などの店先にいきなり怒鳴り込んで来ては、一頻り喚いていたという。時には店の者に掴み掛かり、
「返せ、返せ!」
と泣き叫んだりする事もあった。
所持品から身許が判る物は一切無く、こうして身許不明者として保護されたのである。
健康上も、様々な合併症が発症しており、重度の脳障害と相まって、このままいつ死を迎えても不思議ではない状態であった。
栄養失調から来る脱毛で、頭髪の三分の一は抜け落ち、痩せ衰えていた為、外見からは正確な年齢も判らなかったが、推定では30歳から40歳と見られていた。
「ナオさん、ご飯だよ」
膳にお粥を乗せ、担当のヘルパーが彼女のベッドまで持って行くと、
「ナオさん、ナオさん」
と、まるで節を付けたかのように口走り、決まって彼女は辺りをきょろきょろと見回す。
「そうだよ、ナオさんのご飯ですよ」
抜けて数本しか残っていない黄ばんだ歯を剥き出しにしながら、彼女は食事の間中、何度もナオさんと口にした。