迷宮の魂
 本来ならば逮捕拘留などされない微罪であったが、その男は取調べに対し一切を語らず、留置場へ留め置く事になった。

 小野田巡査は、事情聴取の最初は意気揚々としていたが、身許不明の浮浪者に対する接し方で上司に目玉を食らい、署を出る時にはすっかりしょげていた。

「勤務時間外にも関わらず、公務中と同じ接し方で職質なんかしたって事が知れたら、援護団体みたいなもんが出て来て不当逮捕だ、って騒ぎになるのがオチなんだ」

 そう言われてみればそうかも知れない。

 だが、あの浮浪者にはきっと何か後ろ暗いものがある筈だ。

 理屈では上手く言えないが、男と対峙した時に受けた緊張感は、小野田にそう思わせるだけのものがあった。

 拘留期間中、黙秘を続ける男に関して唯一判った事は、この年の春先から釧路周辺で姿を見掛けられたという事と、浮浪者であるのにキャッシュカードを持っていた事であった。

 持っていたキャッシュカードの名義人と銀行を調べてみると、10年前から取引されている事が判明した。名義人の名前は前田健一となっており、作られた場所が大阪になっていた。取調べに当たった刑事は盗品ではないかと疑った。

 男の手掛かりは、所持していたキャッシュカードのみ。

 問い合わせた銀行からの連絡では、盗難届けは出ていない事が判明した。

 こまめに出し入れがされており、それを見る限りでは何ら怪しいところが無い。

 特にここ最近は、小額の引き出ししかしておらず、本人が使用している状況と窺えるものだ。

「これ、お前さんのものか?そうだとしたら、お前さんを証明する物になるんだ。はっきりとそう言ってくれれば、直ぐにでも釈放出来るんだぞ」

 拘留期限ぎりぎりになっても、結局は何も判らなかった。

 指紋照合でも、前科者と合致しなかった。ただ、男の両手には酷い火傷の痕があった。指紋らしい指紋は消えていたから、火傷をする以前の犯罪歴までは調べようが無い。

 取調べに当たった刑事達は、特にその事を気にもせず、問題にしなかった。

 男は逮捕されてから22日目に処分保留で釈放された。



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