迷宮の魂
「荻窪の……」

「津田遥殺害事件」

「あれは私にとって初めての現場捜査でしたから、いろんな意味で忘れられない事件です」

「そうだね。捜査指揮を任されていた私にとっても、あの事件は生涯忘れられないものになってしまった」

 三山は、容疑者の佐多和也と浅からぬ因縁があった事を思い出した。

 この人は、一度ならず、二度も容疑者を捕り逃がしてしまったのだ。

「その事で私に何か?」

 前嶋が、わざわざ昔の話を懐かしむだけでここに来たとは思えない。何かを頼みたい事は、その重い口振りで容易に察しが付いた。

「佐多を……佐多和也を貴女の手で捕まえてやっては頂けませんか」

 それまでの口振りが一転し、前嶋は額をテーブルに着かんばかりに下げ、哀願するように言った。

「……」

 三山は困惑した表情で返す言葉を失っていた。

「あの時、貴女は事件の真犯人は他に居ると仰いました。理屈ではなく、刑事の持って然るべき勘が、貴女を動かし、私をも動かした。しかし、真相は未だに闇の中です。佐多を闇の中から救って上げて下さい」

「とにかく、先ずは頭を上げて下さい。それに、私は前嶋さんが思ってらっしゃる程、力も何もありません」

「いえ。これは、貴女でなければ出来ない事なのです。私は、彼の事をずっと調べていました……」

 前嶋は何時しか佐多を彼と言っていた。

「彼はね、自ら人を殺めた事は、ただの一度も無いんです」

「最初の父親の時は……」

「それだって、父親が佐多の殺意を呼び起こしたからなんです。あの父親が居なければ、その日、彼の元にやって来なければ、父親殺しという十字架を背負う事もなかったんです。
 その十字架を背負ってしまったが為に、山本智恵美と出逢ってしまい、不幸な結末を迎えてしまったのじゃないかと私は思うんです。
 何も逃げなくてもいいものを、彼は逃亡し、新たな出逢いが犠牲者を生んでしまった……。
 それもね、自分が殺した訳でも無いのに、自分が存在していたが為に殺人事件が起きてしまった訳です。彼に関わった者の人生は、尽く不幸な結末を迎えている……。
 恐らく、あの時彼は小野美幸が津田遥を殺したのだと思い違いをしたのでしょう。自分のせいで……。
 そう思い詰めたのではないでしょうか……」







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