迷宮の魂
渋谷の松涛にある官舎に戻った時には、既に深夜になったいた。あの後、退庁時間を過ぎてから、自室で前嶋が置いて行った資料を読んでいた。
結局はこうなるのよ……
あれだけ思い悩んでいたのに、実のところは、前嶋から話を切り出された時点で、こうする気持ちが固まっていたのかも知れない。
分厚い資料の束には、三山の知らない事も多く書かれてあった。
佐多和也が一時期大阪に潜伏していたという事実は、初めて知った。
その裏付けは、山本直也名義の銀行口座の引き落としで判ったと書かれてあった。
八丈島で押収した佐多の遺留品の中に、ATMの明細書があって、それを基に調べたようだ。その明細書が束になって、資料に添付されていた。
その口座は、平成10年の3月を最後に出し入れがされていない。
現在は、銀行口座の開設に際し、本人確認が厳しくなっている為、以前ほど簡単に偽名で口座を作れなくなっている。だが、平成10年頃は、一部の金融機関を除き、それ程でもなかったから、架空名義の口座を佐多は作れたのであろう。
口座の履歴照会の写しを見ると、平成5年1月から、平成9年7月迄は、毎月定期的に入金がされてあった。
入金額は、当時エリーから支払われていた給料の大部分で、20万。それが2ヶ月分から3か月分貯まると、全額引き落とされている。
佐多が八丈島に居た間は、殆ど金など使う事は無かった筈だと、複数の証言を得られていた。
それがどういう理由でまとまった金額で引き落とされて、再び貯められていたのか。
次の頁には、八丈島郵便局員の証言があった。
「直さんは、時々現金書留を送っていました」
いったい誰に送っていたのであろう?
当時の郵便記録の写しに目をやると、四国の松山市内の住所へ送られていたとなっている。
宛名は『国枝徳子』
謄本の写しがあり、そこには旧姓浪岡とあった。
浪岡芳子の実母であった。
再びその年の10月から頻繁に出し入れが始まり、翌年の3月、大阪の地下鉄『動物公園前駅』構内のATMから5万円の引き出しを最後に、以後、残高0のままになっている。
その周辺の地図が次の頁にあり、地下鉄『動物公園前駅』の近くが西成である事が判った。