迷宮の魂
西成。東の山谷と並ぶ、有数のドヤ街。特に、行き場を失った者達が最後に流れ着く場所として、愛りん地区という名称で有名である。
多くの簡易宿泊旅館やベッドハウス、ホテルがあり、一泊1.000円から2.000円前後で日雇い労務者達を主な客として営業している。
西成警察署の協力で、周辺の簡易宿泊施設を虱潰しに当たった結果、佐多和也らしき男が身を潜めていたらしい事が判明した。だが、平成10年3月以降の足取りは、ぷっつりと消えている。
佐多らしき男は、西成の簡易宿泊旅館やベッドハウスに泊った際、複数の偽名を使っていた。
『稲垣』『前田』『山田』『坂本』等が、確認されていた。
資料を見ると、この事実を突き止めたのは、その年の4月となっていて、ほんの僅かの差で佐多を捕り逃がしていた事になる。
資料自体には、前嶋の心情など微塵も記されていないが、三山には彼の忸怩たる思いが痛いほどに伝わって来るようであった。
この頃には、三山は既に現場研修を終えて、異動になっていたから、こういった経緯を知らない。
資料の最後の部分は、まだ真新しい用紙になっていて、それまでの捜査記録という意味合いからは懸け離れたものになっていた。
そこには、世田谷の重度精神病院に於ける、小野美幸との一問一答が克明に記され、行間に前島自身の言葉が記されてあった。
そこには、佐多和也を逮捕したいという執念以上に、何故、彼がそういう人生を送る事になってしまったのだろうという、問い掛けが何度も書かれてあった。
定年を間近に控えた前嶋が、いったいどんな思いでこれだけの捜査資料を作り上げたのであろうか。
昼間、三山に切々と訴えていた言葉に、全ての思いが込められていたのは間違いない。
だからこそ、簡単に安請け合いだけはしたくないという気持ちが、三山にはあった。
なかなか寝付けない三山の脳裏に、ある人間が浮かんだ。
確か彼は……
明日、直ぐに会ってみよう……
暫く忘れていた厳つい顔が、少しずつはっきりとした輪郭になって行った。