迷宮の魂

 取り敢えず傷口を消毒し、ガーゼを貼る位しか出来なかった。尚美にそうされている間、男は開いている片方の目で、じっと見つめていた。

 その視線に気付いて、尚美が男の顔を見ると、直ぐに目を逸らした。

「昔、何処かでお会いしましたか?」

 尚美は思い切って聞いてみた。駐車場で、男が自分の名前を口にした事が、ずっと気になっていた。

 男はなかなか喋ろうとしなかった。尚美は、簡単な治療を終えると、男の為に湯を沸かし、熱いお茶を淹れた。

「身体を温めないと」

 そう言って男に湯飲みを持たせると、二階から声がした。祖母の声だ。

 帰って来たのかい?という声に、尚美は、もう少ししたらご飯を作るから待っていてと、二階へ声を掛けた。

「帰らないと、迷惑が掛かる……」

「帰るとこ……あるんですか?」

 余計な事を聞いてしまったと、尚美は後悔した。ふと、冷蔵庫に夕べの残りのシチューが有ったのを思い出し、

「もう少し待っていて下さい。残り物だけど、レンジで温めれば直ぐですから」

 急いでシチューを器に移し、レンジに入れた。

「……そっくりだな」

「え?」

「誰にでも優しいところが……」

「それは、私の知ってる人ですか?」

 男はそれ以上何も言わず、開いていた片方の目を閉じた。レンジの音だけが、二人の間の空間を支配していた。

 出来上がったシチューを男に差し出す。スプーンを彼の手に持たせた。暫く皿の中を見ていた男は、空腹に負けたのか、勢い良く食べ始めた。そして、半分も食べないうちに、男はシチューの皿を床に置いた。

 どうしたのかと尚美が見ると、男の身体が小刻みに揺れていた。

 男は泣いていた。

 初めはすすり泣くような感じだったのが、段々と声を出し、とうとう堪え切れなくなったのか、そこに尚美が居る事も忘れてしまったかのように、号泣した。




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