迷宮の魂
今の所轄に転勤して来る5年前の平成4年、彼は八王子署の捜査一課にいた。
そこで担当したある殺人事件が未解決のままになっている事が、彼の中で今でも心の中でずっと燻っていた。
それは、その事件から遡る事7年前に起きたとある女性変死事件の重要参考人と関係していた。重要参考人の男は、事件後姿をくらまし、一切の痕跡を残さず消えてしまった。その男が、7年後の殺人事件の容疑者として突如現れたのである。
簡単にホシの身許が割れ、しかも別な女性変死事件の重要参考人であると判明した事で、捜査員達は俄然色めき立った。警視庁からの応援も得て、万全の捜査体制を敷いた筈であった。しかし、寸前で捕り逃がしてしまったのである。しかも、新たな犠牲者まで生んで。
ホシの尻尾を掴み損ねた……
これが燻ったものの正体であった。
前嶋係長が自戒の念も込めて部下達を戒めた言葉であった。
初動捜査の段階では、遺留品に金目の物が殆ど無かったという状況から見て、顔見知りによる、物盗りの線が強いと思われた。
前嶋は、三課(窃盗事犯を主に扱う部署)に連絡し、入質品の捜査依頼を手配した。もし、犯人が、現場から持ち出した被害者の物を入質するような事があれば、そこから手掛かりになる。ただ、今回のように、そういった品物が特定出来ていない場合は、その線からの犯人検挙は時間が掛かると見た方がいい。
それでも、所轄全体の空気は殺人事件という凶悪犯罪の割には、然程、重々しくはなかった。逃走したと言っても、事件発覚が直後という事と、迅速な緊急配備で容疑者逮捕は時間の問題だろうというのが起因していた。
その緩い空気が一転した。凶器の包丁から検出された指紋が重要指名手配犯のものと一致したのである。
この事に一番愕いたのは、他でもない前嶋係長であった。