迷宮の魂
バス乗り場で起きた発砲音は、太田道子巡査長の所持していた22口径拳銃を浪岡芳子が突如襲い掛かり、奪おうと揉み合った際に発射されたものであった。
放たれた銃弾は、太田道子巡査長の右大腿部大動脈を切断し、右膝半月版を粉砕した。
これだけの銃創を受けながら、太田巡査長は気丈にも浪岡芳子を取り押さえ二度目の発砲を防いだ。
浪岡芳子を取り押さえた後、近くの救急病院へ搬送された太田道子巡査長は、間もなく出血多量の為、殉職した。
公務執行妨害と殺人の容疑で、浪岡芳子は現行犯逮捕された。
再び囚われの身となった芳子は、谷口殺害に至る経緯を語る段になると、
「あの人が悪いんやない!もとは谷口なんや!あいつが先に切り付けたんや!」
と叫び、
「うちが、うちがいけないんやぁ、うちのせいや!」
そう言って狂ったように泣き出した。
彼女が唯一捜査官に笑顔を見せたのは、佐多和也の行方が定かではないと知らされた時で、その時に見せた笑顔は、狂人のそれに近いものがあった。
芳子は留置場で出される食事にも殆ど手を付けず、逮捕から五日目には強制的に点滴で栄養補給をされるという処置まで取られた。
身柄は拒食による衰弱から拘置所ではなく、医療刑務所へと送られる事になった。
狭い独房のベッドに横たわりながら、芳子の意識は和也の事ばかりを思っていた。
その思いは和也への悔悟の一点であった。
うちのせいで……
あの時、うちが包丁を手にしていなければ……
あの人は、うちを守ろうとしてただけなんや……
検察の取調べでも、彼女は自分の犯した事件については殆ど語らず、和也の事ばかりを訴え続けた。
「うちはどうなってもかまへん。あの人にはなんも罪はないんやから」
点滴だけで衰弱し切ったにも拘わらず、そう訴える彼女には鬼気迫るものがあった。