君に染まる(後編)
「未央様が坊ちゃんを選んでくださったこと、畠山は嬉しく思っています」
走り出した車内で畠山が唐突に口を開いた。
「坊ちゃんは優しいお方です。畠山にも屋敷のものたちにも」
「なんだよ急に」
「急ではございません。いつも思っていることです。幼いころから旦那様と奥様の役に立ちたいと勉学に励み、獅堂の跡取りとして何をすべきかを常に考え生きてこられた。その反動のせいで息抜きは少々素行が悪うございましたが、優しい坊ちゃんに変わりはございません。畠山の想像以上に立派にお育ちになられてます」
バックミラー越しに合わせていた視線を外しても尚、畠山は続けた。
「しかし恋愛に関しては見ていて悲しゅうございました。坊ちゃんの生まれや地位は畠山の想像以上に女性を狂わせてしまう。そのせいで大事に育ててきた坊ちゃんが性悪になってしまったらどうしようかと眠れない日が続いたものです」
「何が言いたいんだよ」
「…本当に未央様には感謝しています、と」
畠山の微笑みがより一層優しさを増す。
「ぜひ、未央様には獅堂の会長夫人として坊ちゃんの側にいていただきたい…そういう話であります」
獅堂の会長夫人。
漠然と頭の中で描いていたことをはっきりと言葉にされ面食らう。
言葉を詰まらせた俺を畠山は特に気にせず、そのまま車内は未央の微かな寝息だけが響いた。
ようやく俺が口を開いたのは、屋敷に着いた頃だった。
「…さっきのな、ことだけど」
車のドアを開けながら畠山が「はい?」と返事をする。
「俺は、未央に……"会長夫人"になって欲しいわけじゃないから」
驚いた顔で俺を見つめた畠山はすぐにハッとし、またいつもの穏やかな表情へと戻った。
「余計なことを申したようですね。失礼いたしました」
「いや…別にいい」
なんだか少し畠山の口元がゆるんでいる気がする。
それに突っ込む暇もなく、車を車庫に入れてくると言い「それでは坊ちゃんおやすみなさい」と、畠山はその場から立ち去った。