甘味処[斬殺]
「祐樹が俺になんかイイコトしてくれたら気をよくした俺は棗にだって何でも喜んで奢ってやるんだけどいてててて」

鉄人は耳を棗に引っ張られて情けない悲鳴を上げた。二人の間にいた祐樹を外側に避難させて、代わりに鉄人の隣に行った棗が冷たく言う。

「調子乗んな鉄。祐樹は馬鹿の子だから本気にするだろ」

「馬鹿じゃないよ」

間髪入れずに祐樹が抗議した。棗も鉄人も思わず笑う。

「あー、はいよ。祐樹が馬鹿じゃないのはわかったよ」

むくれる祐樹の頭を撫でながら、棗は思った。
この娘が殺人鬼だなどと言ったところで、通行人の誰も信じないのだろう。長く付き合っている自分ですら、こうしていると未だにその事実を忘れてしまうのだから。
そう考えた棗の顔に自然と笑みがこぼれた時、不意に祐樹の体がびくりと震えた。驚いて棗が頭から手を離すと、祐樹は突然棗に抱きついて胸に顔をうずめた。

「何、祐樹?どうし」

驚きつつも微笑んで言いかけた棗の耳に、幾つもの悲鳴が聞こえた。
棗が振り返ると、ほんの数秒前に祐樹とすれ違った若い男が首を押さえて倒れていた。周囲の人々は皆一様に下がって、その男を囲む円を作っている。
棗はすぐに鉄人の方を見て叫んだ。

「鉄!」

叫んだ時には既に、鉄人は円の中心に向かって駆け出していた。
到着するなり鉄人は懐から手帳を一つ取り出して、群衆に向けて二言だけ。

「警察だ。全員下がれ」

もちろん手帳は偽物だ。それでもよく出来た手帳は何かにつけて役に立つので、鉄人は常に携帯している。
しかし誰もが騙されるというわけではない。偽物と見破って(と言うか、鉄人の外見から「そんなわけあるか」と決めつけて)掴み掛かってくるチンピラもいる。そういう場合に備えて、鉄人は銃も携帯している。もちろんこちらも偽物だと鉄人は言うが、真相は定かではない。
< 20 / 28 >

この作品をシェア

pagetop